blog

和鏡

 
久しぶりに藤原時代の鏡を買う。
芒や菊が乱れ咲いているなかに二羽の鳥が遊ぶその背面の図柄は、小さな雨粒が水面にひとつふたつと落ちてそれぞれの波紋が広がってゆくように優美でやわらかい。
当時の貴族の好みを反映している。
窓からの自然光をあてて淡いレリーフであらわされた鳥や秋草が浮きたつと、それはすぐに消えてしまいそうな趣きに、

嗚呼ゝ
となったり、

よよよ、、
と毎度毎度なったりするので、私にも半滴くらいの分量で平安貴族の血が流れているかもわからない。

食べ頃 2


(正式には「アボカド」だけど私は「アボガド」派だ)


自宅近所のスーパーでは買って帰ったアボガドが傷んでいた場合、そのレシートを持っていくと交換してくれる。
食べ頃のものを吟味したつもりでも、5〜6回に1度の割合で、なかが変色したものを買ってしまう。
先日も黒いものを選んでしまった。
次回スーパーに行けるのは1週間くらい後なのでレシートだけでは証拠が弱いと思い、切ったアボガドの断面をスマートフォンで写真に撮っておいた。
後日スーパーに寄れた折、アボガド交換で何となくは顔見知りの売り場の男性店員にレシートと写真を見てもらうと、「お手数おかけしましたので」と言って、傷んでいたひとつに対して2個くれた。
せっかく取り替えてもらったのにまた傷んでいたらと心配したが、ふたつともきれいな実だったので喜んだ。
その流れをアボガド嫌いな知人に話したら、
「きっとアボカドって呼ばれてる」
と言われた。
私だってずっと前からそんな気がしている。

昨今は、消毒をした手でとは言え食べ頃のアボガドを選ぶためにひとつひとつ触ることは遠慮がちになるが失敗しないためには仕方がない。
美味しいのが食べたいし、アボガドの苦情を言う客だとスーパーの人に思われたくない。

2021



台所のうしは30年くらい台所を見張っている

新しい年も静かに明けました。
出先のことが多く営業日は少ないですが、皆さまにお楽しみいただけますよう品物を探したいと思っております。 
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

秋彼岸


5〜6年前までは、たまたま秋の彼岸中にも関西に行くことが多かった。
暑さが彼岸まででなくて、その年の夏が長引こうと秋が早まろうと、新幹線で東京を出発して京都に着くまでに眺められる畦道が彼岸花で一斉に真っ赤になっているのを確かめては神秘なものも感じて満足していた。
彼岸花がぽつりぽつり咲いているのを見て、そう言えば彼岸の入りだと気がついた年もある。
このところの気象で咲く時期がずれてきたら名前に感心していただけにがっかりするかもわからない。

彼岸花の赤にはいつもどきりとさせられる。

普段の道を歩いていると、こんなところに彼岸花が生えていたのかと、予告なく開いた花に驚くことがしばしばある。
葉が茂っていれば、ここに咲くという目印になるのだが、葉を見たことがないと気がついて調べてみると、葉は花が終わってから出て冬を越し春に枯れるので、「葉見ず花見ず」とも呼ばれるそうだ。

回数


8月 某日  晴れ

こんな状況なのであの居酒屋もまだとても空いている、と私が知人に話すと、
「はい、そうでした、先週2回行ったけどがらがらでした」と相手が言った。
なにか張り合う気持ちが湧いて、私は
「先々週と先月も週2回行ったけどがらがらだった」と言った。

酒屋


4月 某日  晴れ

ここから家まで歩くと小一時間かかる、と思ったが、目の前の駅から電車に乗らず歩き始めた。
自粛を実行して夕方6時過ぎに営業している店も少ない暗めな通りに一軒、明かりの点いている木造の酒屋があった。
広い間口に嵌められている8枚の引き戸も店内の陳列棚も、建てられた当時のままだとみた。
棚には商品よりも隙間が目立つので、近いうちに店仕舞いするのかもわからない。

家にお酒は足りている。
手荷物をこれ以上増やしたくなかったが、足を踏み入れる口実に、乾きものでもひとつ買おうと考えた。
店構えから、ここの店主は江戸っ子の老人か年齢とともに気難しくなった老人だろうと予想して話し方の準備をしていたら、「いらっしゃいまし」と、穏やかな老人が奥から出てきた。
その様子につい、古い佇まいに惹かれてお店に入ったと打ち明けると、「どうぞゆっくりご覧ください」と言ってくれたので店内を歩き回った。
外から窺えたとおり、掃除も行き届いていて何を手にとっても埃を感じない。
小さな缶詰をひとつ買った。
この建物は大正12年に建てられ、昭和に入って道路拡幅工事で少し後ろにひいたそうだ。
頑丈に作られた大きな木の机に地図を広げて詳しく教えてくれたとおりに歩くと、携帯電話で導かれた道よりも5〜6分早く家に戻れた。

修二会 その三


4月 某日  晴れ

修二会その三を書くには日が経ち過ぎた。
見た光景は4月の終わりの緩んだ空気に覆われているようで思い出しにくい。
たくさん撮ったつもりでいた写真は断片的で少なかった。
見落としていたり見間違いがあるかもわからない。

       *


0:44 


0:46
気がつくと神官のような装束の人達が現れていた。
その人らは石段を上がり、二月堂の南出仕口の外で待機しているもよう。
その後しばらく何も起こらない。


1:00
雅楽の奏者がテントの下の席につく。


1:02
ライト消灯。
その後しばらく何も起こらない。


1:28
境内を囲む樹々は大きな結界のよう。


1:39
螺貝が吹かれると雅楽の演奏が始まり、道を照らす役目の童子を先頭に、練行衆と先程の神官のような人らが石段を降りる。
出堂した練行衆は全員ではなさそうだ。



神官のような人らのうち、香水を入れるのであろう桶を天秤棒で担ぐ二人だけが練行衆に続いて閼伽井屋に入る(ように見えた)。
皆が入ると演奏はすぅ、と消えるように止まり、パチパチと篝火の燃える音だけになった。
閼伽井屋の中で行われている、香水を汲み上げる秘儀の気配を感じている、と自分に暗示をかけるとすぐその気になる。
自分のいるところからは中の音などは全く聞こえない。


気がつくと、神官のような人達が整列していた。
桶を担いだ二人もいる。
と、いうことは、香水が閼伽井屋から運び出されたところを見ていなかった。
再び奏楽が始まる。
その光景は神事のようだ。



1:50
二月堂に運び上げるとまたひと時静かになる。
これを三回繰り返す。


1:56


2:03
三度目の汲み上げ。


2:16
気がつくと、道を照らす役目の童子がたっている。
練行衆が閼伽井屋から出てきて二月堂に戻る。


2:18
この後、堂内で勤行が再開。

       *

来年も見学する意気込みだ。   

修二会 その二


松明は修二会の期間中、毎夜上がる。
この日は籠松明という、他の日よりも大きな松明が練行衆十一人分(この日以外は十本)上がるので、二週間のうちで最も人出があるのだそうだ。



20:03

松明に導かれて上堂した練行衆は、自分の居るところからは見えない北出仕口から堂内に入る。
童子は松明を担いだまま二月堂の正面側に移動し、回廊を一気に走る。 
南西の角で松明を打ち振って火の粉を落とすのは、道灯りの役目を終えて不要となった火を小さくするためだと、新幹線の中での予習で知った。
一人が堂に着く頃に、次の練行衆が登廊を上がるペースで、五本目の松明が上がったところで最初に集まっていた人たちからぞろぞろと帰路に誘導された。
例年の混み具合だと一本目で誘導されるらしい。  

いったん東大寺を出て夕食をとり、深夜1時から始まるお水取りの1時間ほど前に二月堂へ上がると、見学者は少し集まっていた。



0:02

閼伽井屋の側か、二月堂の回廊からか、見る場所に迷う。 
回廊を選ぶ。
冷えた空気と、松明が燃えた匂いが微かに残っているのを深く吸い込んでみる。
この回廊から日没は何度も眺めているが、良弁杉越しに奈良の夜景を見ていると、今ここにいるのは忍び込んだような気持ちがした。
連れのある人たちは皆、声をひそめて会話をしている。 
背後の堂内では何かしらの勤行が行われているのか、ゴト、ゴト、、と練行衆の沓音が時折聞こえる。 


0:43

鹿が見物人を見物している。

続く

修二会 その一  


3月 12日  晴れ

急に思いたって東大寺のお水取りを見に出かける。
お水取りの期間中に奈良へ行くのは初めてだ。
二月堂伝来の古美術により、何となくだけは知っているお水取りについて新幹線に乗り込んでから予習する。
修二会、が正式名称だと思っていたが、さらに正しくは十一面悔過(けか)と言い、二月堂の本尊の十一面観世音菩薩に日頃の罪過を懺悔し、その上で、全ての生き物の幸せを願う法会だと遅ればせながら知った。

他に目的もなかったので、お松明の上がる2時間前には二月堂に向かい、少し集まっていた人たちの後ろについた。

現在の二月堂は、江戸時代におこった火災の後に再建されたものだ。
博物館で展示されていることもある、焼け残った銅製の光背の記憶を頼りに、東大寺の僧侶でさえも見たことのない『絶対秘仏』である十一面観音の観想を試みた。


17:02


18:09

せっかくこの日にやって来たのに有名なお松明の場面が間近に見られなかったら、と実はそわそわしていたことに、
大きなカメラを携えて遅くに来た二人組に割り込まれても注意ができず、むっとしてそれとなく肘でぐぅっと押し返したことに、

ニュースなどで目にしていた、何本もの燃え盛る松明が二月堂の回廊に横並びする日は最終日だとわかって少し気を落としたことに、、 
日常のさまざまなことを省みた後にも次から次へと懺悔の材料が生まれた。
そうしているうちに、半時ほどの休息を終えた練行衆が再び二月堂に上がる合図の大鐘が撞かれ、お松明の時間になった。


19:26


19:27

松明は童子と呼ばれる練行衆の世話人により担がれる。
練行衆が一人づつ、松明の明かりに先導されて上堂するのを閼伽井屋(若狭井)越しに見守る。  

三月二日に若狭から送られた霊水は十日かけて閼伽井屋に届き、中の井戸に入れられるとのこと。

続く


まだ明るいうちに南千住の居酒屋へ行く。
いつものように、その店の庭の緑が見やすい席に着く。
剪定されて、どの木もほぼ幹だけになっていた。 
無口な店主のおじさんは、私が燗酒を頼むとこちらを見ながら親指と人差し指と中指で盃を持ち上げるような仕草をする。 
自分の盃を持ってきているのかという質問だ。 
私は二年ほど前に一度だけしか盃を持参したことがないが、「今日は持ってきてないです」と、日によって持参したりしなかったりしているみたいに毎回答える。
小一時間ほど経つと日が暮れかかり、板ガラスの窓越しの木々と店内に整然と貼られた白い短冊の品書きが重なるように見えてくる。
窓ガラスに店内がはっきりと映って庭が見えなくなるのまでのひとときを惜しむ気持ちが、ここに身を置いているといつも微かにわく。 
外が暗くなると、ひと昔前の家庭の台所から聞こえてくるような調理の音に意識がいくようになって、さっき惜しんだ暮れる直前の時間のことを忘れている。