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十人衆


8月 某日  曇りのち雨

拝観を申し込んでいた無住のお寺の最寄り駅で下車し、お堂の鍵を預かる人に電話をしたら、その人が軽トラックで迎えに来てくれることになっていた。
初めて会う私の目印として、
「リュック背負ってますやろ!」
と、勢いよく言われ、
「背負ってません!眼鏡かけて地味な服装です!」
と咄嗟に思いついた自分の特徴を伝えた。
駅前に人は少なく、お互いはすぐにわかった。
歩くと45分程かかる道は車だと10数分で着いた。

軽トラックを降りると、その地区の人らしき男性が外でひとり待っていた。
お堂の鍵を開けるのでもなく、二人は立ち話をはじめる。
スクーター、或いは徒歩で、あと3人現れた。

来る前に読んだ、30年程前に発行された本に、
「寺の運営が、檀家より選ばれた『十人衆』によって行われる、『座中制度』が残っているのが興味深い」
と記述のある、その十人衆のうちの5人なのだなと思い当たった。
なかの一人が
「ほんまは10人来るんやけどそないに囲まれたらお客さん一人なのに仏さん見づらいやろうから半分や」
と言ったので
「座中制度の十人衆ですね」と、知っていることを披露してみたら相手はきょとんとして特に褒めてくれるでもなかった。

境内にひとつだけ残っているお堂は南北朝時代に再建されたもので、正面、左右の三面の扉を開けてもらうと古色づいた堂内には存分に自然光がはいる。
5人から口々に促されて仏像のすぐ近くまで寄った。
周囲の長閑な環境には意外な、院政期の都作と思わせる三尺ほどの釈迦如来と地蔵菩薩だった。
まず手を合わせて、それから仏像を拝観しているあいだ、5人はずっと何かわいわいと話している。
関西弁のせいなのか、二人三人が同時に喋ったりするからか、実人数よりもにぎやかだ。
この地区の日常を見るようでうれしい。

65歳から80歳までの男性10人でお寺の管理を引き継ぐのだそうだ。
貸切バスで来た30人の拝観を受け入れた先日は10人で対応した、
明後日も東京と埼玉からひとりづつの申し込みがある。
ここは海が隣接していない奈良県だが、明治時代からの洋装の普及により家内工業として貝ボタンを製造する家が多かったとのこと。
昭和40年代に安価な合成樹脂製ボタンに圧されて製造を続ける家は減ってしまった。
軽トラックの人は77歳で、この5人のなかでは一番年配とのこと、まだ貝ボタンを作っている。

日本の各地から見学にくるこの平安時代の仏像を特別に敬った様子でなくても大切にお守りしていることがこの地区の人たちからも伝わってきた。
三尊形式にして一緒に安置している江戸時代の地蔵菩薩も区別をしていないようだ。