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7月 某日  晴れ

例年ならとうに、地面に小さな穴を空けて出てきた蝉の声が周り木々から降り注ぎ始めてもよい時期なのに、自宅の前の街路樹も、上野公園に行っても、しんとしている。
まず、今から鳴き出さんと、ジーーー、
と始まるアブラゼミの声が聴こえてくると、なんとなく夏休みを待つ子供ごころにかえる感じがする。
この梅雨、東京はあまりに雨が少なく、気温も高くて地中で蝉の幼虫はみんな干からびてしまったに違いないと思い至った。

7月 某日  晴れ

割と数多く出回る、お寺の国宝のものをとった拓本でも、墨の調子などに拘ると欲しいと思うものは絞られる。
紙が焼けていたりシミのある拓本のほうが、白くて綺麗な状態のものより私にとっては心に添う場合がある。
久しぶりに東大寺の八角灯籠の拓本の掛軸を買う。
墨の調子は淡めで、音声菩薩の顔も愛らしくとれている。
八角灯籠は空のもとにあるものだし、この懐かしさを誘うような風合いになった拓本と蝉の声は響き合うように思った。

7月 某日  晴れ

自宅前の街路樹で急に蝉が鳴き始めた。
干からびていなかった。

7月 某日  晴れ

京橋では蝉の声が聴けないので拓本を自宅に持ち帰った。
朝から蝉は鳴いていた。
壁面に梁があったので店では掛かった大きな拓本は家には掛けられなかった。

店舗営業のお知らせ

 
この9月で店舗の定期借家契約が終了となります。
あと数年限定での再契約のお話もありましたが、これからも留守が多くなること、店の広さの活用と参加する催事との両立が難しいことなどから、再契約はせず、これを機にもう少し小ぶりな移転先を探すことにいたしました。

現在の店舗での営業にはつきましては、初出店となります10月開催の東美アートフェアの準備との兼ね合いもあり、当初の8月下旬までの予定を前倒しし、6月いっぱいまでとさせていただきます。

皆様のご支援により、楽しく6年間を過ごせましたことに心より感謝申し上げます。

移転先が決まりましたら、改めてお知らせいたします。
急なご報告となりましたが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


今後の参加イベント
◆ 青花の会 骨董祭 2022
6/11(土).12(日) ※10(金)内覧会
終了しました

◆ 東美アートフェア 2022
於 東京美術倶楽部
10/14(金).15(土).16(日)
開催日が近くなりましたらまたお知らせいたします

3日+1日

 
4月 某日 晴れ

日本酒は好きだが、銘柄や製造方法などにまったく詳しくならない。
酒屋が経営している居酒屋で、メニューにある日本酒のそれぞれの特徴を店の人に教えてもらう。  
「これは立体感のある味で私は好きなんです」 
と説明された飲みごごちを自分なりに想像して注文をし、グラスに注いでもらってひと口飲んでみる。
私は立体感を持て余した。


4月 某日 晴れ

三年ぶりに店で催事をする。
4〜5箇所に活ける草花が、前日の準備の日から三日間の催事最終日までみずみずしさを保つよう、工夫は欠かさない。
閉店時には花器から抜いて薄いセロファン(とは違うかもわからない)でゆるく包み、空き瓶に入れた水に挿して冷蔵庫にしまう。
翌朝は、冷蔵庫から出してセロファンをとった草花に、これも冷蔵庫で冷やしていた霧吹きで遠めから霧を吹きかける。
その時に、ここは高原でこれは朝霧なんだよ、、と草花にそう言い聞かせるような心持ちで、柔らかく霧を吹きかけるのが、今朝摘んできたようなみずみずしさを長持ちさせるこつ。

と、私は思い込んでいる。

奈良博


夕方、奈良公園を通りがかると、月曜なのに奈良博が開館していた。
東博で観たからどちらでもよいとも思ったが、「聖林寺十一面観音  三輪山信仰のみほとけ」の会場に入ってみる。
それはまったく印象の違う展観だった。

東博での十一面観音は、少し強めにスポットライトをあて(たように思えた)、背景に大神神社の三ツ鳥居を再現する凝った演出だったが、奈良博では簡素にただ黒い壁紙を施した壁面が背後にあるだけだった。
ガラスケースが無いので東京でよりは近寄れないよう低い結界が設けてあるが、黒い背景に漆箔像がやわらかく映えて飛鳥園の写真のようで懐かしい。
昭和のコンクリート造りの、あれはあれで慣れ親しんだ聖林寺の収蔵庫で十一面観音と過ごしている気持ちも蘇った。

像全体を照らす照明とは別に、化仏をいただいた頭部の影だけがほのかに壁面に顕れるよう、ごく弱く照明があてられいてる。 
閉館時刻までの数分、大神寺に祀られていた往時の神仏習合の気配を味わった。

2022

 


年が明けました。
昨年も無事に過ごすことができましたこと、感謝申し上げます。
変わらず出先のことが多く、営業日は少ないですが、皆さまにお楽しみいただけますよう品物を探したいと思っております。
こちらの投稿も、アボガドと大林のほかに古美術にまつわる投稿ができなくては、、と思っています。 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


1月 2日  晴れ

2021年 11月 某日 晴れ

まだ一度も拝観したことのない法華寺の十一面観音がご開帳されていたので訪ねてみる。
和辻哲郎の古寺巡礼や、仏像の古い写真集や展覧会の図録からは、平安時代初期彫刻の特徴の、濃い香り放つような熟した量感を感じていたが、思いのほかずっと小ぶりで可憐な像に思った。
蓮の葉をめぐらした光背の意匠と、片足を踏み出すような像がそう連想させるのだろう、光明皇后が蓮池を歩く姿を写したと伝えられている。
病気や貧困に苦しむ人々の救済のために社会事業を手がける慈しみ深さと、正倉院に伝わる楽毅論の頼もしい書からは意志の強さも感じられる、そんな高貴な女性が蓮池を歩く姿を十一面観音と重ねて想像してみる。
来る道すがら思い出していた、ふぢはら の おほき きさき を 、の會津八一の短歌をいい歌だとしみじみ思えた気がする。
できるわけはないが、ひとつ、私も詠んでみたくなる秋の空だった。

と、アボガドと大林でないことを捻りだしてみる。


10月 某日 晴れ

店の帳面に「巫女埴輪」と書き込んだ時、ひと文字がばらばらしている自分の癖字だと巫女の巫の字がかわいい顔に見えなくもないことに気がついて、そばにあったメモ紙を巫女で埋め尽くし、鑑賞した。
最後の一画の横線が表情の決め手だ。


秋冬


澄んだ空に刷毛ではいたような雲が西日に輝くこんな日のことも大林日和と呼んでいる。
常緑樹が多めの、緑が茂る庭に面した全ての窓が開けられていて

チッ チッ  チッ  チッ  チッ  .   .   .       
    リー リー リー .   .   .   .   .

と鳴きつづける虫の聲を聴きながらコップに注がれたお酒を眺めたいと思っている。
三和土の床から冷気を感じるような真冬は閉められた窓が風で時々カタカタ鳴る。
板ガラスが嵌められた木枠の窓ならではの音は日没後、窓から庭が見えなくなるとひときわ耳に入る。

夏休みの過ごし方 4

 


家にある一本の傘から8年前の夏休みのことを思い出してみる。



何度も奈良に行っているのに、古道として有名な山辺の道を歩いたことがなかった。
真夏に二泊三日で奈良に来て、予定のなかったなか日、ガイドブックによく紹介されている山辺の道の木陰の写真が思い浮かび、その辺りに行けばいくらか暑さが凌げそうだと考えた。
見たい古墳とお寺の近くから2〜3駅ぶんの距離を北に、山辺の道の一部を散策することにした。
下調べもしていなかったが道はわかるだろうと思った。

最寄駅で下車したのは正午過ぎだった。
時間帯のせいか誰も歩いていない駅前商店街のなかに、明治か江戸かと思われる古い木造の傘屋があった。
傘を求めるふりをして、いかにも奈良の町家らしい厚みのある木製の引き戸を開けてみる。
昼食をとっていた店主が店の奥に見える台所から出てきた。

店内には、今どこにでも見かけるいろんなタイプの洋傘が壁に掛けられたり大きな壷に立てられたりしていて、一画には番傘もビニール傘もある。
番傘は参考品ではなく普通に販売していて、手取りは重いが開いたり閉じたりすると、ぱふっ、ぱふっと、柔らかな感触だった。
物色をすすめると、持ち手のプラスチックの質感が懐かしい昭和の雨傘がひとつ混じっていたので抜き出してみる。
石突きや露先が少し錆びて、本当の金属の感じがする初期ワンタッチ傘だった。
雨上がりの小学校の帰り道に、閉じた傘の石突きを道路に引きずって歩いた時の音と手に伝わる振動を思い出した。
広げてみると布地はしっかりと張って、引きつったところが一箇所もない。
かんかん照りなうえに私が滞在中の奈良は雨が一滴も降らない予報だが、今日の記念に、また、店の存続を願って、その傘を買って持ち帰ることにした。

33面の三角縁神獣鏡が発掘された古墳の展示館を見学し、慶派に大きな影響を与えたとされる阿弥陀三尊仏のあるお寺をお参りし、案内の矢印に従って山辺の道に入った。

山辺の道って、もっと右側の山寄りじゃないだろうかと疑いつつ、田畑の間の舗装された道を歩いた。
ようやくに辿り着いた環濠集落内の商店で、来た道が間違いでなかったことと、これからの道を確かめて何かを買って飲んでひと息ついて出発したものの、舗装路のままだしいよいよ一面田んぼで身を隠せる日陰が全く無い。
道を逸れたのかも知れないと心細くなっても尋ねる人にも出会わない。
山辺の道をこれ以上歩けない、と頭のなかが煮詰まり、炎天下に耐えられず買った雨傘をさして遠くに見渡せる架線を目印に下車した駅の隣駅を目指してさらに小一時間ほど歩いた。

と、覚えている。
何年続いている傘屋なのかなど、携帯電話で写真を撮ったりして取材すればよかった。

花のメモ 

 


花の色でいちばん好きなのは白だから自分の店の花器にはいつも白い花を選んでしまうのは仕方がない。
人が植えたものでない、種がどこからか飛んできたり根で広がったりした白い花を道端で摘みつつ通勤している。

八重よりもひとえの花が好きだ。
ただ、花びらに見える白い総苞が八重になったどくだみは気に入っていてよく使う。
松尾芭蕉の奥の細道のなかの、曾良が那須野で詠んだ句にある八重撫子がどんな花なのかわからなかったが、この八重の花もきっと好きかもしれないと思った。
この句の解説を読むと、かさねと言う、平安時代の装束を連想させる名前の可愛らしい少女を撫子に例えたとも考えられる、とあった。
教えてもらわないと私は自力でその句を深く味わえない。
それからは、何かに「かさね」と名付ける機会をうかがっている。


八重のどくだみ 他

かさねとは八重撫子の名なるべし 曾良

たびたび


4月 某日  晴れ

自分のブログの更新が気にかかって今日もパソコンの前にずっと座っていたけどまたアボガドのことしか浮かんでこなかったので投げ出した。


4月 某日  晴れ

用事があって六本木に行く。
明朝のアボガドを買いたいと思いついて大通り沿いに昔からある、どちらかと言うと高級なイメージのスーパーに入る。
ここで買ったのが傷んでいた場合、うちの近所のスーパーみたいに交換か返金をしてくれるだろうか、、よしんばそうであってもそう滅多に六本木に来ることはないし、、
と、心配しながらアボガド売り場に向かう。
それまでその言葉を口にしたことも頭をよぎることもなかったのに、この気持ちが皆の言う『アウェイ感』、またはその一種なのか、と思った。