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撮影


いったん袋から出したものを、また戻すのは衛生的でない。

出したからには一度に全部おいしく食べる心づもりだ。

この期を見計らっていた。

、、、。

今日ならいける。



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ひと袋ぶん並べる

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はじの一列は紙が足してある

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虫喰いもある

ひと袋に89個と頭がひとつ入っていた。
内容量88グラムと表示があるので一体ほぼ1グラムだ。
並べる作業よりも、ぴったりな寸法の本紙作りが難しかった。

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最後に、バリエーションに富む表情のものを選りすぐり、撮影



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浄瑠璃寺の百体一版、摺仏のほう


鉄道に詳しいわけではないので 名称などの間違いがあるかもしれません。


2009年 3月 13日

京都での用事が思いのほか早く終わって3時頃だったか、新幹線に乗り込んだ。
居酒屋で飲んでから帰ればよかったと少し悔やみながら乗っていたが、品川駅を過ぎたその時、東京駅発の青色の寝台特急で唯一残っていた、出発直前の『富士:はやぶさ』が左手に見えて「そうだっ、今日が最後の運行だっ!」と思い出した。

まだ暗くはなかったが、準備が整ってヘッドライトを点灯した古めかしい牽引車を4、5人の整備士さんが囲んで立ち、みんな運転席を見上げている。
私の乗った新幹線が一本前後していたら見られなかった場面かもしれない。

私は父の仕事の関係で小学三年生まで広島に住んでいて、東京の祖父母の家に行く時は飛行機や岡山(?)まで開通していた新幹線よりも、寝台車を使うことが多かった。

遡れる一番古い記憶は、父と白い制服を着た車掌さんが私の顔を覗き込んでいて、自分が何処にいるのか不思議に思ったことだがそれは、3歳の私が寝台車で目を覚ましたところだった。
その時の寝台は通路に並行して2段だったと覚えている。
妹が生まれる予定日が近づいて、私を東京の父の実家で過ごさせるため、東京出張に行く父に託された時のことだと後に教えられた。
なぜ二人が覗き込んでいたのかも聞かされた。
友人たちと思い出せる最初の記憶の話題になると「寝台車のなかで目を覚ましたことだよ」と誇ってきたけど聞く人は自慢話とはとっていないかもわからない。

大学を卒業して初めての勤め先は横浜の本牧だった。
仕事の帰り、乗り換えのため横浜駅で下車した時に寝台車がホームに近づいて来ると、電車とは響きがちがうので余所見をしていてもすぐわかる。
発車する時は、機関車が力をうんとためて唸りを強めそれからガッッチャン、、と、一両目から順々に引っ張って重々しく動きだす。
身体の芯まで振動させるような音で幼少の頃の記憶がよみがえり、通勤途中にもかかわらず止まっている寝台車に飛び乗りたくなるが、窓辺に缶ビールなど置いて乗っているおじさんを羨ましく見送る。

職場が京橋になって、近場で飲んだ帰りに東京駅の八重洲側から自分の利用する丸の内線まで歩く時、たまに連絡通路を通らず入場券でJRの東京駅構内に入り、『出雲』や『銀河』が発車するのをただ見るためだけにホームに上がった。
寝台車で里帰りするらしきひとを羨ましく見送る。

羨ましく思ってばかりでもいられないので働き始めてからは5、6年に一度くらいの割合で西へ向かう青い寝台車に乗って気持ちを落ち着かせてきた。

乗ると嬉しさのあまり殆ど眠れない。
時々鳴らす短い汽笛や踏切の音のドップラー効果を聞いたり、駅に停車するたびにカーテンを少しめくって蛍光灯が灯った誰もいない真夜中のホームをたしかめたり、矢庭に上半身を起こしたりしているうちにだんだん青味がかった景色になって夜が明ける。
下車したとたんにまた乗車したくなるのだから気持ちが落ち着いたとは言えない。

『富士:はやぶさ』の廃止2ヶ月前に、東京から大分までただ一晩乗って引き返してきた。

すっかりこの日を忘れていたのに。
東京駅で新幹線を降りてすぐ、『富士:はやぶさ』を見送ろうと大勢の人が押しかけている東海道線のホームにあがって、西に向かう青い寝台特急の最後の音を聴くことができた(涙)