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練習


7月 某日     曇り時々雨

東京は先月からほとんど太陽が出ていない。
明快な暑さはまだ感じられないので、7月とは思えないままこんなに日が経っている。

休日だが、雨が降ったり止んだりの天気のなか自宅から散歩に出る気分にもなれなくて、部屋の片付けなどする。
雨の止み間の曇天の下、近所の子供達が外に出てきた。
ボール投げやスケートボード?などで遊んでいる声にまじって
ジーーーーーー
と聞こえてきた音に耳をすます。
自分が今年初めて聞く蝉の声なのか機械か何かの音なのか、いつジーーーからみぃーんに変わるのかと片付けの手を止めて集中したけれども、それっきり止まった。
すっかり秋めいた頃にたった1匹仲間より出遅れた蝉の声は少し切ない気持ちにさせるが、こんな気候に早まって土から出てきた蝉のぎこちない鳴き声もそうだ。

草の事情


近所の小学校の校舎裏に数年前までは春になると茎の細い小さな菜の花や紫大根、烏のエンドウなどが咲き競っていた。
植えて育てているものではないので、花器に生けたいから、と、裏門の守衛さんにことわれば、柵から手を差し伸ばして収穫できる重宝な場所だった。
それらの花々の割合が年毎にだんだんと少なくなってきて、一昨年あたりからは稲のような地味な草ばかりになった。
生けるには見過ごすようなその稲のような草を、これ以外の草花には挿し替えられない、と思えるほどに生けこなしているひとのSNSの投稿を見つけて、たいへん感心した。

別の場所では反対の現象も見られ、以前は稲のような草と猫じゃらしばかりだと思い込んでいた街路樹の根元に、いつの間にか白いニラの花が混じるようになり、今では4月になるとたくさんの星型の花を太陽に向けている。
土に合ってくるのだろうか。
梅雨入りが近づくころには、そこにトキワツユクサも数本見られた。
毎年同じ草が生えるとは限らない。

どくだみは、日陰で少し湿ったところを好むと思っていたのに、最近ではよく陽のあたるところにも勢力をのばしているよう。
でも日陰のどくだみのほうが日向のよりも花弁(*下記)の白さが際立っている。

*正確には中央の黄色い部分が花で、4枚の白いものは花弁ではない

改元




4月    某日        曇り

改元にあたり、自分にとって平成はどんな時代であったか振り返ってみると、昭和の居酒屋や現役で運行されている国鉄車両を愛でたり利用したり、そして偲んだりにあけくれていたような気がする。

昭和でも、愛着深いのは40年代半ばまでに見ていた風物で、大正時代の、それ以前の名残りも含んでいる。
50年代からのものには懐かしさがうすい。
昭和の終わり頃は、それ以前のものを目立って壊しはじめたから自分が生まれ育ったころに親しんでいたものは、なくなるものなのだと意識するようになった。

*     *     *

時代に乗り遅れ気味の私は、たったひとつのスマートフォンの機能と情報量に、未来へ迷い込むような心地がして時々気が遠くなっている。


5月    某日        晴れ

インド人が営む、家の近所のインド料理屋の店先で立て看板のチキンカレーコーナーを見ていたら、959円のと960円のがあることに気がついた。
手書きではなく、写真入りで印刷されている。


5月 某日  晴れ

店の流し台で幾つかの花器に花を入れ、それぞれの置き場所に持っていく。
最後に、初めて使う王子形水瓶の縁をそっとつまみ挿した草が動かないよう、はった水がこぼれないよう、店の一番奥の飾り棚まで心を鎮めてしずしず歩いていたら観音になったような気持ちがした。

花の色


花の色で一番好きなのはと聞かれれば白で、ほかにと聞かれれば紫、つぎが黄色。
聞かれたことはない。
東京の桜が葉桜になって花見の話題を聞かなくなったころ、芽吹きの緑のなかにところどころ山桜の花の色が淡くとけこんでいるのが新幹線の窓から見えるとうれしい。

食べ頃


 1月 某日  晴れ

休日だった今日の一日を振り返る。
スーパーでアボガドを買おうとしたら、どれも青くてこちこちにかたい。
かたくても切ると意外にも実が黒くなっていてがっかりすることもある。
そばでバナナの値札貼り作業?をしている店員の男性に、明朝食べ頃になりそうなものを選んではもらえないかとお願いしてみた。
ひとつひとつのアボガドをにぎり微妙な感触を確かめて、勝ち抜き戦のようにして選び出したものを私の買い物かごに入れてくれた。
「これが比較的いいと思いますが暖かいところに置いていてもまだ硬かったら衝撃を与えてください」と言われてびっくりする。
アボガドに衝撃をあたえるとは私にとって初耳だ。
何かでぶつ、、と言うことなのだろうか。
衝撃をあたえる勇気がでないので精いっぱい暖かなところに置いていたのだが、寝る前になってもアボガドをぶったり投げつけたりする自分の姿が思い浮かんできて神経のすみのところが休まらないような感じがしている。

(正式にはアボカドだけど私はアボガドと呼ぶ)

カタバミ

 
2019年になりました
おだやかな一年でありますようお祈りいたします
本年もどうぞよろしくお願いいたします


ふと、店名を草友舎と決めた時に友人からもらったメールを思い出して、4年半まで遡って探してみた。

『草と友達になれるといいね。肉よりは相性がいいんじゃないか。

三番地でいつも自転車を置く足元にカタバミがむくむくしていて、つい踏んづけてしまうんだけど、帰る時に見ると、もうシャキッと立ち直っている。そんな具合にいきたいね』

三番地とは喫茶店のこと。


1月 某日  晴れ

毎日見ている飼い猫の体型をあらためて観察する。
あたまは小さいのに胴体がまるまるとしていて座っている姿は腹の贅肉が後ろ足に覆いかぶさって鏡餅のようになっている。
黒い鏡餅、、。
食事量は決して多くない。
椅子などから床に着地する時はどしんと音がして、からだの重さで足を4本骨折しやしないかと思うほどだ。

おん祭り


春日若宮おん祭の一連の行事のうち、若宮神を本殿からお旅所の行宮にお遷し申しあげる遷幸の儀を拝見し、25年越しの思いをようやく叶えることができた。


12月 15日  晴れ

東京はさらに冷え込んだ。
朝、大きな交差点で信号待ちをする人たちは皆、日向を選んでひとかたまりになって立っている。
私は明日奈良に出かけ、日付がかわる午前零時より始まる遷幸の儀に初めて参詣するのだ。
真夜中の盆地の寒さに対する心構えの手始めとしてまず姿勢を正し、信号が青に変わるのを風の冷たい日陰で待った。
そしてその間、人々に姿をお見せになることのない若宮さまがお旅所まで心持ちよく遷られますようにと、自分が春日大社の参道脇に自生する草や木となるイメージトレーニングを試みた。


12月 17日  雨

夕方からの雨はやまなかった。

さしている傘にあたる雨音にまじって低い太鼓の音が聞こえたような気がする。
午前0時をまわったのか。

二の鳥居からお旅所にむかい、松明でゆっくりとふた筋の火の粉の結界がひかれる。
参道が清まる。
火の粉は徐々に消えてまた闇にもどる。

ヲーーーーー ヲーーーーー ヲーーーーーー
という、いくつもの静かな声の重なりが本殿のほうからかすかに聞こえてきて白い番傘と白い装束の集まりが二の鳥居の奥に浮かびあがる。
声とともにそれらがゆらゆらとだんだんに近づき、、

幾人もの神職に守られた若宮神の気配がわたくしたちの前を通り過ぎる。
なにか香りが残る。

目にしたすべての光景は目をとじて見ているようだった。
春日宮曼荼羅のなかにまぎれこんだようだった。


12月 某日  晴れ

朝、家を出る時、手提げ袋のなかに細い木屑のようなものが入っているのに気がついた。
つまみ出してみると乾いた槇の葉だった。
これはきっと春日若宮おん祭りの参詣の際に紛れ込んだ槇の葉にちがいない、、と、懐紙の上にのせて、飼い猫が戯れたりしないようガラスの戸棚におさめた。

平成


空気が澄んで、空が藍色のように見えるくらいよく晴れた秋の日の休日の午後に家の近所を散歩する。
店の花器に入れる草を歩道の植え込みに探したり、大谷石や煉瓦の塀、木造アパートのモルタルの壁を愛でたりしながら歩く。
不意に飛行機が頭上近くを通り過ぎる音がする。
見上げると飛行機は、意外にも目を凝らして探さないと見えないくらいの小さな銀の点に光って空高くを飛んでいる。
自分が生まれ育った頃の記憶にある昭和の風景は懐かしく愛着があるのだが、これから何年も先になれば平成らしいと言われるものにもそのような感情が湧くのだろうか、と想像してみる。

訂正


10月 某日  晴れ


9月中はまた休業してしまった南千住の居酒屋が再開したとの情報を数日前に受けとったので、間をおかずに行く。
この店内を春日宮曼荼羅のように描き表す課題もすすんでいない。
もっと観察しないといけない。
いつも通りの営みに安心し、飲みながらなんとなく壁面を見わたして驚く。
一台しかないと思いこんでいた扇風機は他に二台あった。
いずれも30〜40年くらい前に取り付けたとみられるものだ。
私は前回のブログに、一台きりと間違いを書いてしまった。
今日は少し暑さが戻ったので三台それぞれが首を振って現役で風を送っている。

再開

 
8月    某日        曇り




半年近く休業していた南千住の居酒屋が8月から再開したとの情報を得たのでいそいそと出かける。
今日行っても、また何かの事情で閉めているかもしれないから店に着くまではまだ喜べない。
泪橋の交差点を過ぎてその先に目を凝らすと営業している印の生ビールのジョッキ形の大きな看板が頼もしく表に出ているのが見えた。

この店は外観から想像するよりも、なかは天井が高く、意外に広い。
夏は庭に面した窓が全て開けられていて、涼しくする設備としては壁に取り付けてある小さな扇風機一台きりだが、カウンターに着席したお客一人一人の前に店主が無言で団扇を置く。
団扇は信用金庫やイベント等が宣伝を兼ねて配ったもので、みなそれぞれ違う。

8月初旬の東京の気温は40度近くあった。
体力のある人でも参ってしまうようなそんな頃に再開させるとは、、
店を切り盛りするこの年齢(詳しくは知らない)の三人にあらためて畏れ入った。

数日前と、その日に仕入れた小さなものとふたつ持ち込み、それらを眺めながら以前と同じように過ごした。