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八十八所

四国へ行くことになった。
私は高所での密閉感が苦手で飛行機に乗れない。
十数年前に運行廃止になった青い寝台特急列車の思い出が新しい体験に上塗りされないよう、乗るのを差し控えていた今の寝台車をとうとう利用することにする。
出発日間際だったが切符は取れた。
こうなった以上は、やはり入線時刻前にホームの先端に待機して写真を取らなくてはならない。
音、姿、内装、、何かにつけて比較して、存在感のあった国鉄車両を偲んだ。

予定のない一日は、平安仏のある寺を2〜3箇所巡れたらと考えたが、四国行きは数日前に決まったので下調べが思うようにできなかった。
そもそも限られた時間内で、本数の少ない鉄道や路線バスの時刻をやりくりして徒歩で辿り着けるところが少ない。
帰りのことも考えなくてはいけない。
ここならどうにか行けそうだ、と、いくつか拝観を問い合わせてみても、秘仏であることを頑なに守っているところばかりだったが、ひとつ、予約を受け付けてくれた札所になっている寺を訪ねる。

午後2時ごろ、小さな箱のような待合室があるだけの無人駅で下車したのは私と地元の高校生の二人だけだった。
刈り取られて乾ききった田圃の間の道路を誰とも会うことなく30分ほど歩いて目的の寺の山門が見えてくると、出入りしている人が思いのほか多かった。
皆、本格的な遍路姿ではなく軽装に白い輪袈裟かけて、なかには菅笠を被った人もいる。
団体行動ではなく、各々で巡っているようだ。
小さな塔頭のそれぞれの前でも手を合わせて真言を小声で唱えたりもしていた。

私は本堂をお参りして収蔵庫を開錠してもらい、木彫十一面観音像と対面する。
平安時代初期の威厳に満ちた一木作りの像で、個性的な面貌に地方色は感じるが素朴ではない、奈良や京都の古寺の仏像にも引けをとらない丁寧な作行きに感激した。
脇侍の日光、月光菩薩は本尊より少し時代は遅れているが、やはり量感があって素晴らしく、この一寺で阿波の空気をいっぱいに吸い込んだような思いがした。

収蔵庫を出ると裏手に駐車場があり、輪袈裟をかけた人たちが各々下車したり乗車したりしているのが見えた。
自分の生活には車がないのでそういう手段の巡礼は思いつかなかった。
私も鉄路を利用しているので昔の巡礼者には思いもよらない手段だろう。