2017.1/16
右手
12月 某日 晴れ
草友舎の引越しは身軽だが、それでもそれなりに慌ただしかった。
年末も店に出て、滞っていたこまごましたことを片付ける。
ビルの谷間でも昼間は店のなかに日光が差し込む。
日の入りはおそくなってきたことがわかる。
二年間、地下2階にこもっていた者にはこの当たり前なことが新鮮だ。
雑用していても気分がいい。
これでもう、
「自分はこの部屋で居心地よく過ごしている、、」
と、暗示をかけなくてもいい。
1月 某日より三日間 ずっと晴れ
風邪をひいているにもかかわらず奈良にでかける。
秘仏拝観の申し込みをして電車を乗り継ぎ最寄り駅からでも数十分はてくてく歩く寺を訪ねる、といういつものような活発な行動はさし控え、奈良市内の大寺の境内をゆるゆる歩きまわり、夕方5時半になったらぶらぶらといつもの居酒屋にはいる。
私は奈良に滞在している間、毎日この店に通ってもかまわない。
70年ほど前から行方不明になっていた新薬師寺の香薬師の右手がつい最近見つかり、奈良博の仏像館に展示されている。
小金銅仏の展示ケースのすみにちょこんと並べられていたその手には可憐で泣かされた。
『全体から受ける印象に加え、手相や関節の表現にいたるまで法隆寺の夢違観音の右手と酷似し、両像が同じ作者によることを示している』と解説にあるが、夢違観音の顔や宝冠や瓔珞ほどに手は鮮明に思い出せない。
1月 某日 晴れ
昨年の大晦日の夜に駿河台下交差点近くの植え込みから人目を憚り折ってきたバラの蕾がひらく。
あいにく店にも家にも花器がなくペットボトルに入れたままとは失敬してきたバラに申し訳ないことだ。
奈良