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こどもの日の過ごし方


5月 5日 晴れ

出光美術館開館50周年記念、美の祝典I『大和絵の四季』を観に行く。

誰もが同じ想像をすると思うけど、今回の私はたいへんつつましく、伴大納言絵巻、応天門の変の火の粉をひとつ、いただくことに決める。

墨で描かれた蓮華のような形のものがいくつか飛び散りながら燃えている。
地面に落ちて燃えかすになりつつあるものもある。
それらのなかから「この燃え具合だ」というのをひとつ選び出す。
地獄草紙の火の粉とはまた違う。

10年ぶりに見る伴大納言絵巻。
火の粉ひとつをとっても素晴らしい。

撮影


いったん袋から出したものを、また戻すのは衛生的でない。

出したからには一度に全部おいしく食べる心づもりだ。

この期を見計らっていた。

、、、。

今日ならいける。



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ひと袋ぶん並べる

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はじの一列は紙が足してある

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虫喰いもある

ひと袋に89個と頭がひとつ入っていた。
内容量88グラムと表示があるので一体ほぼ1グラムだ。
並べる作業よりも、ぴったりな寸法の本紙作りが難しかった。

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最後に、バリエーションに富む表情のものを選りすぐり、撮影



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浄瑠璃寺の百体一版、摺仏のほう


鉄道に詳しいわけではないので 名称などの間違いがあるかもしれません。


2009年 3月 13日

京都での用事が思いのほか早く終わって3時頃だったか、新幹線に乗り込んだ。
居酒屋で飲んでから帰ればよかったと少し悔やみながら乗っていたが、品川駅を過ぎたその時、東京駅発の青色の寝台特急で唯一残っていた、出発直前の『富士:はやぶさ』が左手に見えて「そうだっ、今日が最後の運行だっ!」と思い出した。

まだ暗くはなかったが、準備が整ってヘッドライトを点灯した古めかしい牽引車を4、5人の整備士さんが囲んで立ち、みんな運転席を見上げている。
私の乗った新幹線が一本前後していたら見られなかった場面かもしれない。

私は父の仕事の関係で小学三年生まで広島に住んでいて、東京の祖父母の家に行く時は飛行機や岡山(?)まで開通していた新幹線よりも、寝台車を使うことが多かった。

遡れる一番古い記憶は、父と白い制服を着た車掌さんが私の顔を覗き込んでいて、自分が何処にいるのか不思議に思ったことだがそれは、3歳の私が寝台車で目を覚ましたところだった。
その時の寝台は通路に並行して2段だったと覚えている。
妹が生まれる予定日が近づいて、私を東京の父の実家で過ごさせるため、東京出張に行く父に託された時のことだと後に教えられた。
なぜ二人が覗き込んでいたのかも聞かされた。
友人たちと思い出せる最初の記憶の話題になると「寝台車のなかで目を覚ましたことだよ」と誇ってきたけど聞く人は自慢話とはとっていないかもわからない。

大学を卒業して初めての勤め先は横浜の本牧だった。
仕事の帰り、乗り換えのため横浜駅で下車した時に寝台車がホームに近づいて来ると、電車とは響きがちがうので余所見をしていてもすぐわかる。
発車する時は、機関車が力をうんとためて唸りを強めそれからガッッチャン、、と、一両目から順々に引っ張って重々しく動きだす。
身体の芯まで振動させるような音で幼少の頃の記憶がよみがえり、通勤途中にもかかわらず止まっている寝台車に飛び乗りたくなるが、窓辺に缶ビールなど置いて乗っているおじさんを羨ましく見送る。

職場が京橋になって、近場で飲んだ帰りに東京駅の八重洲側から自分の利用する丸の内線まで歩く時、たまに連絡通路を通らず入場券でJRの東京駅構内に入り、『出雲』や『銀河』が発車するのをただ見るためだけにホームに上がった。
寝台車で里帰りするらしきひとを羨ましく見送る。

羨ましく思ってばかりでもいられないので働き始めてからは5、6年に一度くらいの割合で西へ向かう青い寝台車に乗って気持ちを落ち着かせてきた。

乗ると嬉しさのあまり殆ど眠れない。
時々鳴らす短い汽笛や踏切の音のドップラー効果を聞いたり、駅に停車するたびにカーテンを少しめくって蛍光灯が灯った誰もいない真夜中のホームをたしかめたり、矢庭に上半身を起こしたりしているうちにだんだん青味がかった景色になって夜が明ける。
下車したとたんにまた乗車したくなるのだから気持ちが落ち着いたとは言えない。

『富士:はやぶさ』の廃止2ヶ月前に、東京から大分までただ一晩乗って引き返してきた。

すっかりこの日を忘れていたのに。
東京駅で新幹線を降りてすぐ、『富士:はやぶさ』を見送ろうと大勢の人が押しかけている東海道線のホームにあがって、西に向かう青い寝台特急の最後の音を聴くことができた(涙)

ふたつの催し


ふたつの催しに参加いたします。

東京アートアンティーク(日本橋京橋美術骨董祭り)
www.tokyoartantiques.com/
4月14日(木)15日(金)16日(土)
ー当店にてー
この室内では今年が最後の参加です。
来年も京橋界隈に店を持てたあかつきには、ぜひ参加し続けたいです。

青花の会 骨董祭り(新潮社主催)
6月4日(土)5(日)
ー神楽坂の3カ所の会場にてー
いつもひきこもっている地下2階から地上に出るのだと思ってたら
どうやら私のブースは地下会場みたいです。
詳細わかりましたら追ってご案内いたします。

両方の催事にて草友舎での企画はありませんが、みなさまに楽しんでいただけるような品物を集めようとこころがけております。
どうぞよろしくお願いいたします。

選択


「ホームページは中身をまめに更新しないと見てもらえなくなるよ」との皆さんの助言にしたがい、私にしては努めているのだけど、なんという事ないこと(福だるまの話をひっぱるとか)をせっせとあげるのと、ちょっとは内容のあるもの(?)が思い浮かぶまで放っておくのとどちらが見続けてもらうのに効果的なのか、考えてみた。

どちらにしても忘れられてゆきそうな気がする、、。

と、結局、前者をとってこんなことをあげるのである。

こだわる


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骨董の共直しを見極めるぐらい真剣にふたつを観察する。

押し加減のちがう、同じ版(焼印)のものかと思ってたけどやっぱり同じ版(焼印)ではなさそうだ。


だいぶん食べすすんでしまってから何の気なしにならべて、それぞれの顔の表情を鑑賞する。
今は6個しか残ってないけど、買って袋を開けるたびにこのおびただしい数の『福だるま』の顔がみんな違うのが不思議で毎回作り方を考える。

浄瑠璃寺の印仏みたいに百体ならべてみたくなった。
でも今度京都に福だるま買いに行けるのずいぶん先だなぁ。

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上段右と左は同版か。
百体でなくともせめて十二体一版を表現してみたかった。

1月4日


桑名にある神社をお参りしてから奈良に入る今回の旅の計画のそもそものきっかけは、、。

江戸時代にその神社から出土した平安時代の和鏡と同じ様式のものを昨夏買ったので、これはいっぺん、その神社の蔵する鏡や他の宝物も見てみたいと思い立ったことにはじまる。

8月頃だったか、神社に電話で宝物の拝観について問い合わせると電話に出た女性から、「宝物は普段一般公開していませんが毎年元旦から数日間だけ宝物館を公開してます。 期間は年によって変わるので、年末くらいに問い合わせていただければ」 と、案内された。

暮れに電話をすると今回の公開は4日までとのことだったので、5日出発予定を無理して一日早めて出かける。
最寄り駅から神社まで歩く25分ほどの道のりのほとんどは田んぼと山のあいだの道路で単調だが、途中、江戸時代からのお店とみえる菓子屋があったので、お参りした帰りに寄ろうと決めて通り過ぎた。
それまで歩く人もほとんど見当たらなかったのに神社に着くと、私とは別ルートから車でやってきたのであろう参拝客でごった返している。
たこ焼きやフランクフルトのにおいが漂ってくる。
「マイカーのお祓いはこちらから」という道案内も出ている。
鳥居をくぐり石段を上がると小屋に神馬がいて、参拝客がひっきりなしに差し出す一皿100円の人参を休みなく食べつづけている。
神馬の面影を観ようにもうまくゆかない。
思い描いていた神社の情景とちがって戸惑ったけど、これから平安の鏡や五鈷鈴と対面だわ♡、と、気を取り直し本殿より手前にあった宝物館に近づいてみると「新春振袖展」(だったか?)と書かれた看板の字が読めた。
胸騒ぎをおぼえながら中をのぞくと新品(?)の振袖のミニチュア(?)が展示してある。
受付の巫女さんに鏡や五鈷鈴のことを聞いたけど若い彼女はわけがわからず困惑して、でも私は彼女よりもっと困惑してこれこれしかじかの事情を泣き出したい気持ちで訴えたら社務所で訊ねてみるよう促された。
社務所まで引き返して、東京からわざわざこの日にここまでやって来た経緯を話すも皆、私のせいではありません的な応対。
いったいどういうことなのかとカウンターでねばってやっと聞き出せたことは、1月9日からの2週間、津市にある博物館に出品するため和鏡30面すべて貸し出した、とのこと。

お参りもせず神社を飛び出す。
ぶりぶりしながら駅に戻る。
お菓子屋寄るの忘れた。
次の電車が来るまで40分。
これから名古屋に出て新幹線を使って奈良に着いてもどこのお寺の拝観も間に合わない。
木津川を右に見ながら南山城の仏たちを想い、ゆっくり関西本線で奈良に入る。

2016


あけましておめでとうございます
おだやかな、よい一年となりますようお祈りいたします

自分の店としてのスペースをひらいて一年と少しですが、予定通りこちらのビルの都合上、来年の三月までにはこの一室からの移転先を探さなくてはなりません。
毎年恒例の東京アートアンティークをはじめ、この空間を活用した企画展など、日々を楽しみつつやっていきたいと思っております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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開店当初は鹿の埴輪と古式な鉄灯籠と小品が数点ならんでるっきりでした。

居酒屋考


2013年   某月 某日

六本木の美術館で催されていた「もののあはれと日本の美」展を観にいく。

「もののあはれ」とはその語感から、なにか物悲しく儚いイメージにかたよられがちだが本来は、四季の自然の移ろいや人生の機微に触れた時に感じる情趣に賛嘆や愛情を含めて深く心にひかれる感じを意味していたとされるとのこと。
その、日本人が古来から育み洗練させた美意識を、平安時代以来の美術の世界にその継承と変化の様相をさぐろうというこころみである。

展示は、「もののあはれ」の源流となる平安貴族の生活と雅びのこころから生まれた物語絵、美しい料紙に書かれた和歌をはじめ漆芸や染織などの工芸品から近現代の風俗画へとすすんでゆき幅広い。
いかに「もののあはれ」が時代により更新されつつ日本美術の核心部分に息づき叙情ゆたかな美術の世界をくりひろげてきたか、あらためて気付かされる。永い年月、日本の人々に大切にされ伝わってきた展示品それぞれの経年による静かな古びた味わいが、さらにそのおもむきを深めているように思う。

ゆっくり堪能して会場を出るとそこには、「もののあはれ」なんてすっかり忘れさられたような街の景観がひろがっている。
そこで私は自分が通ういくつかの居酒屋のうちでいちばん「もののあはれ」を感じる店はどこか、考えてみた。
私は古くからのまま今に営んでいる居酒屋を尊んでいて、足が向く店は自然とそういう店がほとんど。
小料理、割烹といった店にはけっこう「もののあはれ」を感じるところがありそうだけど、店主やお客さん同士との距離感が近く、会話の気の利かない私はそういったところにはあまり行かないので、大衆的な居酒屋のうちで順位をつけてみた。

第一位    南千住の大林

そこに身を置いて飲んでいて、けっして面白おかしく楽しいといった気分とはちがうのに、なんでこうも胸にしみじみとくるのか。
展覧会場のパネルで読んだ本居宣長の『「もののあはれ」を知ることこそが、人生を深く享受することにつながる』との指摘、ちょっとわかったような気になる。
再開発や後継ぎがいないなどで、なくなってしまった店もいくつか思い出される。
今の時代、もののあはれを感じるような店が存続していくのは、むつかしいのです。