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撫子


8月 某日  晴れ

午後、今の雑草事情を調べに近所の散歩に出かける。
草友舎の夏休み明けに店で使えそうな、翌週に採りごろの花をいくつか確認した。
私は生えている草花や木の枝は取るけど植えてあるものは取らない、
というのはちょっと嘘で、たくさん植えられて放っておかれてあるらしきものは「ひとつくらいいいかな?いいでしょう」と、たまに出来心を起こす。


8月 某日  台風

今週は夏休みにすると決めていたけどベランダの植木鉢で咲いた白い河原撫子を店で活かそうと暴風雨のなか家を出る。
装備(を持っていないのでずぶ濡れになる心構えをするのに)に気をとられて玄関に撫子忘れて来たこと、店に着いてから気づく。


8月    某日        晴れ

撫子を持って店に出たい気持ちもあったが夏休みにしたのだから奈良に行く。


8月    某日   台風の影響あり?(地上の様子がわからない)

植木鉢から切った撫子は紙にくるみ自宅冷蔵庫で冷やしておいたので、1週間経っても咲き始めの状態を保っていた。

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店で使う。

夏休みの過ごし方 1


これからの夏休みに鳥取県三徳山三仏寺を参り、投げ入れ堂を見に行こうと計画しているかたに、ひとこと申し上げておきたいことは、履いてきたスニーカーや簡単な登山靴から是非、入山口で売っている藁草鞋に履き替えていただきたい、ということだ。

7年前、三仏寺を20年ぶりに再訪した際自分では大丈夫だと思っていた靴が受付で認めてもらえず、草鞋を履かなければ入山させられないと言われる。
投げ入れ堂まで登る人は皆それなりの靴を履いて来ているので「履いたことのない草鞋を履いて歩いて脱げたり鼻緒の当たるところが痛くなったりしたら困る」などとごねている私を横目に手続きを済ませ、渡された白い輪袈裟を肩にかけて宿入橋を渡っていく。
宿入橋から先が行場だ。

しぶしぶ500円支払って草鞋に履き替えて歩きだしたらなんと、木の根に足をかけてよじ登るのも急な傾斜の乾いた土の上や岩の上も湿った苔の上もどんな条件のところにも、ひたっと安定した感覚ですたすた歩ける。
スニーカーよりも身軽で足も全く痛くならない。
それに何といっても修験者になった気分になれる。

山を降りて受付のお坊さんと顔を合わせたので
「あのう、歩きやすかったです、、」
と言うと「そうでしょう、昔は履きつぶした草鞋をスサにして土壁に混ぜた」と教えてくれた。

合図


昭和ビル出入口のギャラリーの看板がたってるところに小さな植木鉢が出ていたら「草友舎、開いてます」という印にすることにしました。

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お祭り


今回の『青花の会 骨董祭』にて絵画で協力してもらった三人は、古美術を通して知り合いました。

彼らの絵画に古美術を取り合わせるという試みが皆さまにご好評いただけて、たいへん嬉しく思いました。


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どうもありがとうございました。

参籠したい寺ベスト10


(5月に信貴山縁起絵巻を見て)

案じている弟命蓮の居場所を知りたいと願う尼公が一夜籠もった東大寺大仏殿は平家の焼き討ちにあう前の、創建当時のままの大仏殿だけど絵巻のなかの大仏はまさしく平安仏画だ。

東大寺に受戒せむと信濃国を出たまま二十余年も消息のない弟と再会できるかどうか心もとない、また、とても大変な旅路なのに、こんなお寺に参籠している尼公が羨ましくなる。

そこで、『今、参籠したい寺ベスト10』を考えてみる。

浄瑠璃寺(真っ先に思い浮かんだ)
當麻寺(健気でうつくしい中将姫になったつもりで)

奈良の南明寺
広隆寺の講堂(だいぶ前に講堂の軒下で雨宿りしたことがあって)
秋篠寺
室生寺
奈良国立博物館の仏像館(お寺じゃないけど)

挙げてみると有名なお寺ばかりだ。

いわきの白水阿弥陀堂も泣かせる。

奈良桜井聖林寺の十一面観音の部屋

続 こどもの日の過ごし方


昨年暮れにホームページができてからというもの、ブログにうつつを抜かしていたのだ。
そんなに更新していないのに慣れないパソコンにかじりついていて美術館にもほとんど出かけずにいたのだけど、こどもの日に伴大納言絵巻を見に行ってはずみがついた。

一週間後、始発の新幹線に乗って信貴山縁起絵巻を見に奈良博へ行く。

開館少し前に奈良博に着き、50人くらいの列の後ろに並ぶ。
開館して、すぐに入場すればよいものの、入り口吹き抜けの米俵の飾りに気をとられて写真を撮ったりなどしているうちに、どんどん後列の人たちに追い抜かされ、絵巻にたどり着いた時には30分待ちになっていた。

でもそのおかげで人の流れが滞っていてゆっくり三巻、物語と絵を味わう。
命蓮の鉢が放り込まれた米倉が動きだすところ、倉の壁に描いてあるこのふたつの黒いものはなんだ?と見入ると屋根から落ちる軒丸瓦で、ただごとならぬ事態の始まりを予感させたり(何が起こるか知ってるけど)、経年で消え入りそうな草や、こっち巻の鹿の群れとさっき巻の鹿の群れの、鹿の大きさを変えて描いてるいる効果を考えたり、、。
淡い彩色の絵巻だと思っていたけど、もともとは鮮やかでこくのある顔料が厚く塗られたところもあるようだ。
まだまだ見過ごしあるにちがいない。

尼公の巻ではひと泣きする。

飛倉巻、延喜加持巻の勢いある画面とは違って、老尼がはるばる信濃国から信貴山にいる弟命蓮を尋ねる旅だからてくてくと長い時間がかかった感じがでている。
名場面のひとつ、東大寺大仏殿に参籠する尼公が異時同図法を用いて背景が透けるように描かれているところから、目出度く命蓮と再会して信貴山で仏道に励む二人の日常の姿に、出家はしなくても尼公のようなひとになれるよう、、と目標をたてる。

広々と俯瞰した描写を、際立つ描線の活躍を、三巻通しで全て観る。
絵巻鑑賞の醍醐味だ。

あれから2週間、発心したことはほとんど忘れていて時々思い出す。

青花の会 骨董祭


6月4日 、5日に催される『青花の会 骨董祭』の草友舎では、若い3人の描く絵画と古美術との取り合わせで参加いたします。

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草友舎
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水津達大 (http://suizutatsuhiro.com

田嶋健太郎
平松麻 (http://asahiramatsu.com

6月4日(土)11~19時 6月5日(日)11~18時

入場料 1000円
会場4か所 2日間共通 

会場4か所のうち草友舎は『AYUMI GALLERY CAVE』です。
地下鉄東西線神楽坂駅1番出口と2番出口のちょうど中間あたり、早稲田通り沿いです。

『青花の会』ならではの企画もあります。

詳細は
http://kogeiseika.jp/seikafes2016/index.html
を見ていただくか、または草友舎にお問い合わせください。 

こどもの日の過ごし方


5月 5日 晴れ

出光美術館開館50周年記念、美の祝典I『大和絵の四季』を観に行く。

誰もが同じ想像をすると思うけど、今回の私はたいへんつつましく、伴大納言絵巻、応天門の変の火の粉をひとつ、いただくことに決める。

墨で描かれた蓮華のような形のものがいくつか飛び散りながら燃えている。
地面に落ちて燃えかすになりつつあるものもある。
それらのなかから「この燃え具合だ」というのをひとつ選び出す。
地獄草紙の火の粉とはまた違う。

10年ぶりに見る伴大納言絵巻。
火の粉ひとつをとっても素晴らしい。

撮影


いったん袋から出したものを、また戻すのは衛生的でない。

出したからには一度に全部おいしく食べる心づもりだ。

この期を見計らっていた。

、、、。

今日ならいける。



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ひと袋ぶん並べる

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はじの一列は紙が足してある

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虫喰いもある

ひと袋に89個と頭がひとつ入っていた。
内容量88グラムと表示があるので一体ほぼ1グラムだ。
並べる作業よりも、ぴったりな寸法の本紙作りが難しかった。

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最後に、バリエーションに富む表情のものを選りすぐり、撮影



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浄瑠璃寺の百体一版、摺仏のほう


鉄道に詳しいわけではないので 名称などの間違いがあるかもしれません。


2009年 3月 13日

京都での用事が思いのほか早く終わって3時頃だったか、新幹線に乗り込んだ。
居酒屋で飲んでから帰ればよかったと少し悔やみながら乗っていたが、品川駅を過ぎたその時、東京駅発の青色の寝台特急で唯一残っていた、出発直前の『富士:はやぶさ』が左手に見えて「そうだっ、今日が最後の運行だっ!」と思い出した。

まだ暗くはなかったが、準備が整ってヘッドライトを点灯した古めかしい牽引車を4、5人の整備士さんが囲んで立ち、みんな運転席を見上げている。
私の乗った新幹線が一本前後していたら見られなかった場面かもしれない。

私は父の仕事の関係で小学三年生まで広島に住んでいて、東京の祖父母の家に行く時は飛行機や岡山(?)まで開通していた新幹線よりも、寝台車を使うことが多かった。

遡れる一番古い記憶は、父と白い制服を着た車掌さんが私の顔を覗き込んでいて、自分が何処にいるのか不思議に思ったことだがそれは、3歳の私が寝台車で目を覚ましたところだった。
その時の寝台は通路に並行して2段だったと覚えている。
妹が生まれる予定日が近づいて、私を東京の父の実家で過ごさせるため、東京出張に行く父に託された時のことだと後に教えられた。
なぜ二人が覗き込んでいたのかも聞かされた。
友人たちと思い出せる最初の記憶の話題になると「寝台車のなかで目を覚ましたことだよ」と誇ってきたけど聞く人は自慢話とはとっていないかもわからない。

大学を卒業して初めての勤め先は横浜の本牧だった。
仕事の帰り、乗り換えのため横浜駅で下車した時に寝台車がホームに近づいて来ると、電車とは響きがちがうので余所見をしていてもすぐわかる。
発車する時は、機関車が力をうんとためて唸りを強めそれからガッッチャン、、と、一両目から順々に引っ張って重々しく動きだす。
身体の芯まで振動させるような音で幼少の頃の記憶がよみがえり、通勤途中にもかかわらず止まっている寝台車に飛び乗りたくなるが、窓辺に缶ビールなど置いて乗っているおじさんを羨ましく見送る。

職場が京橋になって、近場で飲んだ帰りに東京駅の八重洲側から自分の利用する丸の内線まで歩く時、たまに連絡通路を通らず入場券でJRの東京駅構内に入り、『出雲』や『銀河』が発車するのをただ見るためだけにホームに上がった。
寝台車で里帰りするらしきひとを羨ましく見送る。

羨ましく思ってばかりでもいられないので働き始めてからは5、6年に一度くらいの割合で西へ向かう青い寝台車に乗って気持ちを落ち着かせてきた。

乗ると嬉しさのあまり殆ど眠れない。
時々鳴らす短い汽笛や踏切の音のドップラー効果を聞いたり、駅に停車するたびにカーテンを少しめくって蛍光灯が灯った誰もいない真夜中のホームをたしかめたり、矢庭に上半身を起こしたりしているうちにだんだん青味がかった景色になって夜が明ける。
下車したとたんにまた乗車したくなるのだから気持ちが落ち着いたとは言えない。

『富士:はやぶさ』の廃止2ヶ月前に、東京から大分までただ一晩乗って引き返してきた。

すっかりこの日を忘れていたのに。
東京駅で新幹線を降りてすぐ、『富士:はやぶさ』を見送ろうと大勢の人が押しかけている東海道線のホームにあがって、西に向かう青い寝台特急の最後の音を聴くことができた(涙)