商品紹介

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金銅菩薩立像
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北斉〜隋時代
像高 7.2㎝
和泉市久保惣記念美術館「六朝時代の金銅仏」所載

小ささを感じさせない精作で、鍍金もよい、
と紹介されています。
思慮深い表情、細かく表された瓔珞や水瓶など、3㎝にも満たない体躯に見どころがきゅっ、と凝縮しています。

仕込み箱

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木彫菩薩立像
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像高 37㎝ 台は含まず
平安時代

興福寺伝来の千体観音の可能性もありますが、彫刻のもつ量感と作行きから、念持仏として単体で納められた像のようにも思えます。
この像を初めて見たとき、
「村の美しい娘さんをモデルにしたような、素朴で、ひなびた優しさを持っている」
と井上靖が書いた、湖北の石道寺の十一面観音を思い出しました。
胸に木が打たれている理由は、想像するよりほかにありませんが、はにかむような表情の、この像の愛らしさは格別です。

台座は彫刻家のかたに作っていただきました。

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七宝菊花形釘隠
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幅 8.9㎝ 
江戸時代

大ぶりで厚みのある七宝釘隠です。
花弁の輪郭に鍍金を施し、白、青、緑の七宝の規則的ではない配置が効いています。

至文堂「日本の美術 第322号 七宝」所載

この釘隠しは江戸中期として紹介されていますが、そのなかには細見美術館所蔵の、桃山〜江戸初期で知られる十弁花形釘隠も含まれています。
通じるデザイン感覚があることから、こちらの菊花形釘隠も江戸中期よりも遡ると考えています。

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均正忍冬唐草文軒平瓦
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山村廃寺跡出土
幅  30㎝ 奥行き 36㎝
白鳳時代

法隆寺のものと並び、この時代の様式を代表する軒平瓦のひとつ。
東京国立博物館、奈良国立博物館、飛鳥地方の考古資料館などに同范の瓦が所蔵されています。

筆で描いた線ような、のびやかに広がる唐草文が施されています。
後ろに向かい斜めに欠けてはいますが、前面が全て残っているのは貴重で、また、横からの眺める姿にも時代の特徴があらわれており、存在感があります。
山村廃寺は、奈良県の山辺の道沿いにあった寺院で、今は金堂、八角円堂、塔の遺構を残すのみです。

2022 東美アートフェア図録掲載品

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三十三間堂伝来 仏手残欠
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高さ 17㎝(台含む)
鎌倉時代

三十三間堂の名で知られる蓮華王院は後白河上皇の発願、平清盛の協力を得て1164年に創建されました。
1249年に市中の大火で焼失し、その後間もなく後嵯峨上皇により再建された際に納められた千手観音菩薩像の仏手のひとつです。
手首を飾る腕釧(わんせん)は江戸時代のものですが、ひと粒の瑠璃の硝子玉も効いています。
等身大の千体の千手観音像は、慶派、院派、円派の仏師に分担され、信仰心のうえで数多く使られたならではの、手慣れた仕事の美しさがこの仏手にうかがえます。
千体の千手観音像が、中尊を中心に整然と立ち並ぶ三十三間の堂内の世界を偲ぶことができます。

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十一面観音懸仏
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像高 7.5㎝ 盤の径 15.5㎝ 
鎌倉時代

涼やかでひきしまった表情、縁が薄く裏に木を嵌めていない盤から、13世紀の作と思われます。
ひと粒の瑠璃の硝子玉の瓔珞も当時のもので貴重です。


紫紙金字華厳経 入法界品
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東大寺伝来
天平時代

紫は古代より高貴な色とされており、冠位十二階においても、最も地位の高い臣下の冠の色が紫でした。
写経所の中でも特別な「写金字経所」においてムラサキソウで染めた紙に書写した経文は輝きが増すよう、一字一字猪牙で磨かれています。

華厳経と金光明最勝王経の謹厳な書体はほぼ同格で、界線が金泥か銀泥かでどちらかが判断できます。
華厳経は銀界線です。
紫紙金字の金光明最勝王経、華厳経、法華経の断簡は茶の湯でも珍重され、伝承筆者である菅原道真にちなんで「北野切」「紫切」「筑紫切」と呼ばれています。

古くにこの一行に切られ、表装されていましたがイタみがありましたので、こちらで古裂を回した額装にしました。

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川原寺方形三尊塼残欠
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奈良県明日香村にある、川原寺から出土した塼仏の残欠です。
塼仏は仏堂の壁面に貼りめぐらせ、祈りの空間を荘厳したものと言われています。
如来の脇にお行儀よくぴっと立つ脇侍の脚部分で、ふっくらとした足の甲、小さく並ぶ指がかわいらしい。
盛唐の影響を受けている日本の初期の塼仏ですが、その作行きにはすでに日本的な情趣が感じとれるようです。

川原寺の開基は、出土した瓦の様式から見て天智天皇の時代に当たるとされています。
天武朝以降は、飛鳥寺、大官大寺、薬師寺とならぶ四大寺のひとつとして存在した白鳳時代を代表する寺院ですが、日本書紀にはこの寺の創建に関する記述がないため、「謎の大寺」とも呼ばれています。
書紀には、写経生を集め日本において初めて一切経を書写した、との673年の記事で川原寺の名が現れます。

中世以降衰微し、今の境内で当時のものは礎石を残すのみですが、このような塼仏のかけらひとつからでも時代の息吹や四大寺として栄えたスケールの大きさが想像できます。

『仏教美術入門展』(佐野美術館 1988年)図録所載

約9㎝ × 約7㎝
白鳳時代

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橘寺 方形三尊塼仏残欠
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聖徳太子誕生の地と伝わる橘寺境内から出土した塼仏の残欠です。
中尊の如来の脚部分で、衣のひだや蓮台にのる指先までキャスト良く、表面に施した白土もわずかに残ってくれました。
橘寺は天武天皇九年に火災にあったと日本書紀にあり、塼仏の肌にその歴史がうかがえます。

塼仏とは、粘土で型を抜き焼成した板状の仏像のことで、堂内の壁面にはりめぐらせて祈りの空間を荘厳したものと言われています。
周辺の寺からも同じ形式の塼仏が確認されていますが、橘寺の塼仏が最も早い時期の制作で、比較してみると、初期のもののみが持つ濃厚な迫力があります。
残欠とは言え、手元で眺められる白鳳時代の仏像の遺品は稀少です。

高さ 10.5㎝ × 幅 9.5㎝ × 厚み 4㎝(いずれも最大)

白鳳時代

最後の画像は、東京藝術大学と黒川古文化研究所の蔵する同手の塼仏です。
その他、京都、奈良国立博物館などにも所蔵されています。

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阿蘭陀藍絵兎文盃
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古染付を写した兎文のデルフトの盃です。
月を見返り、嬉しそうな表情が可愛いらしいです。
目立ちませんが、釉薬の剥落が口辺に数カ所あります。
気軽に楽しめる発掘品もよいですが、茶人に大切にされた伝世品の清潔感はやはり尊く思えます。
(仕覆はこの盃に転用したものかもしれません)

径 5.8㎝×高さ 2.8㎝

ちなみに、神田の老舗の蕎麦屋の盃と同じ大きさで小ぶりです。

18世紀

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志野呼継向付
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八枚の陶片で呼び継いだ志野の向付です。
荒川豊蔵が志野の窯跡を発見してほどない頃の、陶片がまだ豊富に発掘できた時代ならではの出来映えで、仕上がった形は無理がなく自然です。 
茶碗として長く使われたようで、箱は古く、蓋には蒔絵で「山邉」とあります。


桃山時代
径 12.4〜13.8cm 高さ 7.2cm

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中尊寺経扉絵
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写経の巻頭を飾る絵を「扉絵」「見返し絵」と呼びます。
まれに経巻から離れて扉絵だけで伝わることがあり、こちらも痛みがあったのでしょうか、下が数センチほど切られた扉絵だけの捲りの状態で出てきました。
奥行きのある、とても繊細な筆遣いで釈迦説法図が金銀泥で描かれています。
釈迦と脇侍の可愛らしさに合わせて、小ぶりな掛け軸に仕立てました。

紺紙金泥経で代表的なものは神護寺経と中尊寺経です。
神護寺経の扉絵は全ての巻に於いて、釈迦三尊の左右に一人ずつの比丘を配す説法図であるのに対し、中尊寺経の扉絵は多様です。
こちらも霊鷲山が背景に描かれた説法図であることは同じですが、神護寺経よりも比丘が二人多く、失われている下方部分には、経意と関わる物語性のある絵が続いていたかもしれません。
これも貴重な平安仏画のひとつと言えます。


平安時代
本紙 縦19.5cm×幅20.7cm 
軸装全体 縦69cm×幅29cm(軸先含まず)

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阿弥陀如来仏画
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鎌倉時代
本紙 13.9㎝×26.2㎝ 掛軸全体 28.8㎝×88.5㎝

密教画の残欠と思われます。
宋画の影響を受けていない大和絵系の表情は優しく、かつ、細部まで緊張感のある描き込みによる神秘的な奥深さもあります。

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奈良絵住吉物語絵巻断簡
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室町時代
本紙  48.3cm×14cm 掛軸全体 89.5cm×51.3cm

主人公の美しい宮姫と、その侍従の悲しんでいる場面が、心のこもった筆の運びで描かれた奈良絵です。
白描なので、その墨の線の美しさが際立っています。

母を亡くした宮姫は、継母のさまざまな悪だくみを避けて、尼となった実母の乳母をたより住吉の地に身を隠します。
朝に夕に、持仏堂の阿弥陀三尊にお経を捧げて暮らしますが、長谷寺観音の霊験により、宮姫に心を寄せ続けていた少将に探し出され、幸せになる物語。

素人画のような素朴な画風の絵巻や冊子本は、仏画の需要が少なくなった室町時代の南都の絵仏師の副業によるのがはじまりとも言われ、明治のころから奈良絵と呼ばれるようになりました。
その稚気愛すべき趣きは好事家のあいだでも親しまれ、断簡として分けられて今に伝わるものもありますが、その数は決して多くはありません。

奈良絵の冊子本や巻物は江戸時代の中期頃まで製作され、それ以降は版本が普及します。
室町時代のものは拙さの中にかえってしみじみとした味わいがあり、余白なく綴られる詞書にも時代の特徴があらわれています。

中回しに有職裂を取り合わせ、物語と響きあった表装が施してあります。

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